2024年12月24日

あんな頃、元義母は60歳で年金をもらい始めたと思うのだけど






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昨夜記事を投稿したつもりが、
非公開になってました( ; ; )


昨日は雪が積もっていて、

5cmほどだったので大したことはなく
それでも慌ててスノーブラシ(車の雪下ろし)
を出してきました。

帰宅後はスコップを車に乗せました。

娘は本調子ではないものの何とか大丈夫で
仕事にも行きました。



結婚していた頃の話です。

元義父は62歳のときに脳の病気で
半身麻痺になり、障害者年金をもらい始めました。

1級だったので年金額はわりと多く
14〜15万だったと思います。

そんな手続きにも、子供の手を引き
私が行っていました。


その後、元義母は62歳で定年になり
大きい退職金をもらい退職。

(この退職金は元義叔母夫婦の借金の肩代わりで消えました)

あんな頃、元義母は60歳で年金を
もらい始めたと思うのだけど、、、

退職との関係でわからないけど、、、








仕事を辞めたので生活費は出せないと言われ
光熱費だけ元義父母が出していました。

元夫モラ男の給料と私のパート代で
家族6人の生活でした。


今思えば、元義父の障害者年金と
元義母の年金、合計すると

かなりの金額だったんじゃないかと思うのですよ。


その後、家を増改築したときに
家がモラ男名義になり
光熱費がモラ男が支払うことになって

更に生活が苦しくなって、、

灯油だけ、近くのガソリンスタンドに
配達してもらっていたので 
それのみ元義父母が出していたんです。


その後、元義父が運転をやめたときに
灯油を入れてもらっていた近くのガソリンスタンドに
元義父が支払いにいけなくなって

それでも元義父母は知らん顔で・・・


知らん顔どころか、
車を勝手に持っていってしまったと

周りに言って歩き、ほんとに頭にきましたよ。








私はもう限界、プチッと切れて

「私が支払いに行かなきゃいけないから出してください」

と言ったのよね。


全く、ひどい義父母でした。

ふたりで25万円以上もらっていたと思うんですよ。

家のローンもなければ楽勝ですよね。


なのに、元義母が亡くなったときには
126万円しか残っていなかったというね・・・

無駄づかいしてたから・・・

そんなに貯金もなかったのに
アデランスの30万円のウイッグを作ったんですよ。
それも送り迎えは私。


思い出したら腹が立ってきましたフンッ(。-`へ´-。)

大昔の話ですが、思い出すと
その時の感情になります(・_・;


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posted by ゆめみるあっち at 08:00| 元家族の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月27日

元義母はこんな人だった







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元義母のことは
結婚前からあまり好きではなかったけど

義母と結婚するわけではないし
なんとなく、しょうがないか・・・と思ってしまった。


見た目も好きではなかった・・

あんなころは元義母は57歳、
今の私よりも若かったのですね( ̄ー ̄;


同居してびっくり目が点になることの連続でした。


ある日の夜、茶の間に行くと
お風呂上りの元義母は上半身はだか(゚д゚)!

もちろん丸見えで、隠しもせず話す:(;゙゚''ω゚''):


茶の間ではいつもごろごろ寝ていて

人が来ると起き上がらず寝たままズルズルと移動して
引き戸から頭を出し、誰が来たか見るという・・

仰向けのままで、です。

来た人はびっくりですよね、
茶の間から頭が出ている状態です。


ご飯の時には器をお箸で引き寄せたり

食べ物をお箸で口に運ぶと言うよりも
顔をお茶碗に近づけ食べに行くと言う感じ、

おにぎりやお寿司を作る時も平気で手を舐めるし、、








ある日、アイロンをかけようと思って
アイロンの水入れに水をいれて二階
(私たちの部屋は二階だった)に上がろうとしたら

「あらアイロンかけるの?じゃあこれもかけといて」
と自分のシャツを持ってくる・・とか、


モラ男がいない時「実家に行ってきます」と言うと
「何しに?」と言うし、


自分一人で出かける時、義父の食事の用意を
いったい誰がすると思っているのか
絶対に「お願い」と言わない、
あたり前のように何も言わずに出かけるし、


突然、部屋から出て来なくなり、
具合が悪いのか機嫌が悪いのかわからず

声をかけてもまともに返事をしない、

つらいとか、大丈夫とか、心配かけてごめんとか
何か言えないの?言えないほどつらい??

いい加減にしろ!!これはモラ男もおなじだった。


書いていると思い出して腹が立ってきます。
きりがありません。

今日はこの辺にしときます。





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posted by ゆめみるあっち at 23:44| 元家族の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月07日

モラ家 元義母の件4 別居のタイミングと元義母を許せた時

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元義母はその後、割と元気になり

元義母が病気になった時のこと


毎日ガーゼを取替えていた術後の塞がらない傷も
(それをやっていたのも私
 モラ男はやらない)

少しずつ回復してきて

次の春が下の子の高校卒業でした。


その年の年末に

こんな男とは絶対に別れる
一生一緒に暮らすなんてまっぴらごめんだ


と思うことがあって


家を出るなら 元義母が回復した今しかない

と思ったんですよね。


下の子が高校を卒業する春に決行と決めました。


それまで
なんとか義母が元気でいますようにと
思いましたね。

入院中などにはさすがに気が引けますし。








私が家を出て半年後

元義母は風邪をこじらせて入院
そのまま亡くなりました。


まだ別居してから半年で
近くに住んでいましたし

上の子が帰省したときなどは
おにぎりやいなりずしなどを届けたり
ご飯を作りに行ったりもしていました。

元義母の病院にも通いました。


亡くなる前に 元義母は

お母さん ごめんね」と一言。

(お母さん ← 私です)

何に対しての「ごめんね」だったのかは
わかりません。


また入院して世話をかけてごめんね
という意味でしょうけど
それまでは そんな言葉はありませんでしたから。


亡くなった時の私の感情は・・・

 でした。

亡くなったんだという認識だけです。


後で思えば その時の「ごめんね」が
今までのことに対しても含まれているよな
気がしました。


今となれば その一言があったから
許せる気持ちになった気がします。





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posted by ゆめみるあっち at 23:26| Comment(0) | 元家族の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする